2017年 7月の夢たち
今日は、サイゼリア飲み会に行く約束をしてたんだけど、ふと左後ろの髪を掴むと、縮れた白髪がごっそり束で抜けて「ごめん、髪が抜けたから行けないわ」ってその束を見せて断る夢を見た。
7月10日
恋人が生きていて会う夢を見た。自殺未遂をして死んだと思ったら生きていた。背が伸びていた。勧められるがままにリバーシブルのスカートを試着した。就職についてのメールを返していた。古本を見に行った。
7月16日
いい夢見た!わたしは、淡いガールズラブがテーマの学園モノ映画の凖主演で、いじめる女を殴り殺して、ジュディマリが爆音でかかるラスト、走ってくる仲間の青い車に、好きあってる女の子と二人で飛び乗るのだ(車の中では「撮影終わったよ〜楽しかったよ〜さみしいよ〜」と泣く)
7月27日
気分が悪くなり階段の踊り場のようなところで倒れていたら、とてつもなく大きな燐寸箱を持ったKくんが現れる。お金をくれたら助けてあげます、と言うので、彼に燐寸を一本擦ってもらうたび、百円玉を渡す。燐寸からは芍薬のような匂いがして、その煙を吸っているうちは具合がよい、という夢
7月30日
キチガイだから実のおじいちゃんと結婚しないといけない夢
悪夢をみるときの二割くらいは、何かの撮影だって設定。
わたしはキチガイだから実のおじいちゃんと結婚しないといけなくて、歯が一本ない。
お金についての電話をしている他人の部屋の花瓶に挿された枯れかけた薔薇、わたしは青いチューリュプの束を持ちバレエのアラベスクをする。(足がちゃんと伸びない)
ガンで余命が四、五年のバリキャリの女と、土手を歩きながらとんでもなく言い争う。(「私はやりたいことがたくさんあるのにあと数年で死ぬ、形式的な結婚がなんだ」「わたしはキチガイだからという理由だけで実の祖父と結婚させられるんだぞ、死ぬのが何だ、わたしはいつだって死にたいわ」)
わたしは前へ進みながら、彼女を噛んだり殴ったりする。彼女は足首に癌があり目視できる。皮膚は弱っていて、すぐ打撲痕や噛み痕ができる。
最中、コンビニの駐車場から他人の叫び声が聞こえる。近寄ると、わたしのおじいちゃんが、血まみれになっている。自力で歯を抜いて、わたしにくれようとして、手を差し出しながらにこにこしている。
恋人に首を絞められかける夢
恋人は生きている。二人で夜、一緒にいる。
彼は日付が変わり、9月26日になったことを怯えている。
わたしは「どうして怖いの?」と訊くが、風邪を引いたのか空調のせいか、声が掠れてほとんど出ない。
しばらく躊躇した後、恋人は、「昔、隣の家の女の子と付き合っていた、その後は町田に住む女と」と話し始める。話が分からず、「それで?」とかさかさした小さな声で続きを訊ねると、恋人は逆上し、わたしの首を絞めようとする。
恐ろしくなったわたしは叫び声を上げる。
すると、恋人はわたしから離れ「声、でるじゃん」と冷ややかに言う。
豚が豚を屠殺する夢
ドキュメンタリーを撮影している。
豚の群れがカメラに向かって走ってくる。一匹の遅れている桃色の子豚にクローズアップ、生まれつき片脚が悪いようだ。
毛の白い少し大きな豚が、桃色の小豚をどこかへ連れていく。そこは飼育場にある小さな囲いの中だ。
囲いの中には円盤が設置されていて、その一部分には刃がついている。
「子豚はここまではついてきましたが、さすがに刃の下に首を置くのは嫌がります」という、ナレーション。
しかし白い豚によって桃色の豚は刃の下に固定される。
白い豚が両手を使って、円盤についている取っ手をくるくる回すと、だんだんと刃は桃色の豚の首に食い込み、ついに首が落ちる。透明の汁が飛び散り、わたしにもかかる。
「豚たちは長い間、人間の屠殺を見続けてきたので、自分達でも行うことができるようになりました」という、ナレーション。
妊娠を罵倒 光るカバの夢
実家に帰ると、わたしの靴が無造作に捨てられている。
11月26日 取り損ねた電話の夢
知らない電話番号から二度電話がかかってきていたが取らない。三度目に取ると、わたしが働く税理士事務所の所長の奥さんからだった。
「今の事務所に不満があるなら言ってごらん」と言われる。わたしはふと、先日のことを思い出す。月曜は生ゴミの日なのにゴミ出しを忘れていたら、所長に「また新しい事務を雇わなくてはならない!」と嫌味を言われた。わたしはそのとき、それじゃあわたしはもう辞めます、と全く反省の色がなく、相手を困らせる受け答えをした。そのことを咎められるのかと思ったが、どうやら違うらしい。
奥さんの声は暗い。「自分はずっと所長を支えるだけの人生だった、もう耐えられない」と言う。わたしは、いいぞ離婚してまえ、と心の中で応援していると、「耐えられない、私は明日死にます」と想像していない言葉が続いた。びっくりして反射的に電話を切ってしまう。その後すぐ掛け直し、今死んだらあなたの人生はなんなのだ、死んではならない、生きて自分の人生を生きるのだ、と諭すが彼女の意思は固い。わたしは彼女がもう80近いことを思い出し、口では自死を止める反面、このような歳の人は死ぬと言うとすぐに確実な方法で死ぬと、直感している。
場面は変わる。わたしはきまぐれに知らない人の個展に入る。一枚の絵を気に入り、買おうとするのだが、入り口の個展のお祝いの鉢植えに何かを引っ掛け、倒してしまう。
それはよく見たら、生花ではなく展示品だった。花は床に落ち、茎からはワイヤーが出ている。わたしが作者に倒してしまったことを謝ると、彼女はわたしの目の前でペンチでワイヤーを切る。そして「これはとても高価な素材で繋げてある、6500円を払ってください」と請求をしてくる。
さっき出ていたワイヤーを切らず、花と括り付ければ済む話ではないか、それほど高い修理費がかかるなら絵は買えない、と言うと、彼女は修理費を一気に1000円までまけてきた。これはぼったくりだと思い、わたしは長い間彼女と口論する。
場面は変わる。今日は一日疲れてしまった、と思うと、いつのまにか0時を十数分ほど過ぎている。わたしは彼女が自殺したことを知る。確かに明日死ぬと言っていたけれど、日付が変わってすぐは早すぎる、でも、わたしがちゃんと然るべき場所に連絡しておけば、そして取れなかった二度の電話で彼女の話を聞いていれば、と、とてつもなく後悔するがもう遅い。
ふらふらとチェーンの飲食店に入る、電気が眩しい、案内された席が変で(持ち帰り用の寿司パックが置かれている)、やっぱり帰ります、と店員に告げる。所長の息子だかなんだかはYouTuberらしく、母が死んだ悲しみをリアル配信している。わたしはどいつもこいつもアホばっかりだと虚しく悲しくなる。